競艇にはまったのは28歳の時です。喫茶店を経営していた友人に連れられて競艇に行って、ガンガン屋の剛っしゃんの言う通り買って第7Rで10万円ほど儲かったのがきっかけでした。もうかれこれ30年以上も前の古い話です。

それからどっぷりと競艇にはまり競艇資金捻出のため本を売ったり、母親に金をせびったり金融に金を借りたりして借金まみれとなりました。当時営業の仕事をしていて、付き合っていた彼女に縁談が持ち上がりました。彼女は両親と兄夫婦に進められて縁談を断れない状況にありました。僕の方も借金まみれで結婚など考えられません。それである日彼女を連れて家出しました。いわゆる駆け落ちというやつですね。すでに仮結納も入っていたので、大騒ぎとなりました。彼女の見合いの相手と兄は激怒し警察に捜査願いを出し、車のナンバーは手配され、逃亡資金にも困り、二人してそれぞれの家に戻りました。

実家に居ずらくなってチリ紙交換と西瓜売りで日銭を稼いで夏だったので神社の境内で寝泊まりしたり実家の廃屋に潜んで暮らしていたのですが、次第に噂が広まり故郷に居ずらくなって村を逐電しました。博多駅裏の人夫出しに転がり込んだのです。人夫出しとは作業員宿舎の事で、寝て食って土木工事から帰ってくると千円ほどの現金をくれました。当然、こういう所は普通の人は来ていません。刑務所を出て行き場の無い人、恋愛で失敗、ギャンブルで失敗、アルバイトしながら旅行している人、身寄りも行き場もない老人などなど、それぞれ他人に言えない秘密を抱えた人たちです。住所を汚いノートに書くだけで後は何も詮索されません。作業着や長靴も他人が残していったものが支給されるので、手ぶらでいってもその日から働けました。

                     

しかし、そんな先の見えない暮らしにも見切りをつけ、ある土木会社の常用の作業員になりました。それから色々あって結婚し共稼ぎで細々とした生活を始めました。結婚を機に競艇からキッパリと足を洗うと決心したのですが、1年もすると借金さえしなければ良いだろうという考えが頭をよぎり小遣いの全てを競艇にもっていかれました。これではイケナイと老後に備えて貯金もしなければ。そういう考えも浮かびませんでした。そして渋々始めたのがインターネットでした。肉体労働者がインターネットを覚えるのは実に難儀な事でしたが、どうにかサイトの閲覧ぐらいはできるようになったのです。

パソコンに触るようになって競艇へ行く回数は減ってきたのですが、長くは続きません。時々ボートに行ってはスッテンテンになるのです。競艇を止めたり始めたりの繰り返しでした。別に借金はしないので妻は何も言いませんが、老後の備えは年金だけという何とも不安定な暮らしとなりました。それからブログに日記を書こうと決めたのです。たったこれだけの事ですが、毎日の食費の具合を書いているとボートに行こうと言う気が薄れてくるようになりました。それでも、ときどき、老後の不安から競艇を研究してみようと思ってしまいます。競艇はネットのライブ中継で毎日見ています。それでふっと舟券を買ってみようと思うわけです。するともう一方の自分がいて、いやいや、せっかく止めたのだからここでやったらこれまでの苦労が水の泡だ。などと葛藤があります。溜まったつり銭貯金をしげしげと眺めているとさずか数千円が数十万に化ける可能性があるのが、ギャンブルです。そういう経験を過去に幾度となく経験しているので、つい、そう思ってしまうのです。 

最近、ブログとホームページ作りに夢中になってから完全に競艇から足を洗うことができました。ギャンブルを止めるコツは、何か他に夢中になれるものがあることだとだと強く感じます。