もうあなたの病気は治らない。これ以上治療できることはありません。これからのことを家族のみなさんで話し合ってください。
なんて、言われても困ってしまいますよね。みんなで頭をかかえるしかありません。体が動かないので、金もかせげない。デスクワークのできる頭もない。
中枢神経の疾患というのは難儀なものです。とても大事な場所なので手がつけられない。というよりもその実態がよくわからない。こういう状況に陥ると、自分に残された物は気合だけしかありません。気合で乗り切ろう。というのは簡単ですが…、現実はそんなに甘いものではありませんでした。

また、今年も苦しい一年の始まりです。もうこの先良いことは何もないだろう。そう覚悟を決めてたんたんと生きてゆく。2017/01/02


                     

人が立っている時の脚の膝って、ごくわずかに曲がっているんですね。片麻痺になる前は自分の脚の膝が曲がった状態だとは思いもしなかったことです。このわずかに曲がった状態で体重を支えながら足を前方に振り出して、地面を蹴って推進力を得る。この時、頭を前方にだして倒れる。倒れる瞬間に地面を蹴る。それの繰り返しが走るということだと思います。

滑らかな歩行を得るには足首の柔軟な対応も必要です。足を上げると、スッと自然に足首も上がって地面を蹴る。実にうまい仕組みですね。脳卒中になると非常に強い突っ張りが出て、足の裏がひっくり返ったり、足首が垂れ下がるということが起きて歩けなくなります。こういう状態を改善するにはどうしたら良いのでしょうか。色々専門家に聞いても明確な答えはありませんでした。

しかたがないので、マヒ足に体重をかけたり我流での歩行訓練に勤しむしかありませんでした。しかし、10年経っても20年経っても大した変化はありません。ただ、1本足で歩くことに慣れただけ。滑らか歩行には程遠い。

膝を曲げて歩く訓練として、チンパンジーのように歩くのが良いと言われたことがあって、取り組んだのですが、突っ張りが強いと数メートールしかできません。モンキーウォークとかいうそうですがこの訓練は挫折しました。それから太ももの筋肉を付けたが良いということも聞いたので自転車こぎにも挑戦したけど、そもそも自転車に乗って、ペダルにマヒ足を入れることができませんでした。ワッカに入れてもペダルをこぐとポロポロ落ちるのです。しかたなく我流でのトレーニングでしのぐしかありません。足を引きずるかブン回してあるくしかありません。

これまではマヒ足だけに目が行って、懸命にマヒ足を上げて歩く練習とか。膝を曲げる事ばかり考えていたのですが、水泳を始めるようになって、人は足だけ手だけで動いているのではない。4本の手足はコンビネーション化されて動いている。右手で水をかくと自然と右足も動いて水を蹴るのです。さらにこの時体をひねると泳ぎやすいです。水泳の先輩からローリングして泳げとかよく聞きますが、人間の体というのは体全体を使って泳いだり歩いたりしているのだという思いが強くなっています。

                               

反張膝はほんとにやっかい。歩くたびに膝にロックがかかるのである。下り坂や階段などで前にツンのめりそうになる。足首も垂れたまま内反もする。スプリントを付ければ、反張も軽減され歩きやすいが、裸足だとダメだ。なんとかしてこれをクリアーしたいがどうにもならない。マヒ足だけで歩く練習をしても効果はない。体全体を使って歩く練習をするのがよさげに思うのだが。健手を振りながら腰をひねるようにすると楽に歩ける。健側を振るとマヒ側もつられて動く。しかし、連続歩行は苦しい。人体というのは仕組みが複雑で難しい。ただ、環境に順応するようになっているみたい。使わないでいると退化し、頻繁に使うと発達する。そのようにできているのだと感じる。


65歳になると障害年金をもらうか老齢年金をもらうかの選択を迫られます。どちらを選ぶかは自由です。税金の関係上障害年金を選びました。すると消えた年金の記録が出てきたので再計算してみましょう。そう担当者が言うのですが、障害年金の場合、過去の消えた年金が出てくると、逆に減ることをしっていたので、現状維持でお願いします。そう言ったのですが、簡易計算すると、増えるというのである。社会保険事務所でそう言われたので、消えた年金を加算してお願いして書類を作成しました。すると驚くことに日本年金機構で正式に計算すると減額になると封書が届いたので仰天しました。そして慌てて再計算を希望しない旨の書類を作成して事なきを得ました。消えた年金が出てきて減額になる場合もあります。障害年金とか加給金の場合などです。年金制度は複雑で素人にはわかりづらいのと制度が変わることもあるので注意が必要ですね。


ファッションモデルのような、スラリとした足の女性を見ていると、よくあんな細い足で歩いたり走ったりできるものだと、思ってしまいます。22センチぐらいの小さな足裏ですよ。それで自重を支え地面を蹴って推進するのですから驚きです。
クレーンで物を吊る時、クレーンより重いものは吊れません。たとえば最大つり上げ加重3トンのクレーンで、5トンの庭石を吊り上げようとウインチを巻き上げると、持ち上がるのはクレーンの方です。機械だと自重より重いものは持ち上げられません。持ち上げられるのは半分の重さ程度です。しかし、人間は違います。重量挙げの試合を見ていると自分より重い物を持ち上げてしまいます。自分も若いころは57キロの体重で60キロの米を担いだことがあります。

健常者の歩きを見ていると、ほとんどの人が無意識に手を振って歩いています。手を振らないと歩くのが遅くなりますね。高齢者の人で、虫がはうような歩きになってしまいます。スリ足というのでしょうか。こういう歩きは体の重心の位置が変化しないので転倒はしにくいので、年を取ると無意識にそういう歩きになるのかもしれません。人体は不思議の塊ですね。戻る


                    

今朝も蒸し暑い。未明から雨音がしていたが今は止んでいる。いつものようにトースト、コーヒー、バナナ半分でモーニンした。コーヒーはNESCAFEの900ミリボトル(甘さ控えめ)ルミエールで税込み¥88。サンリブだと税込み¥150。昔は粉から入れていたが、今は面倒だからボトルにした。これから夏にかけてアイスコーヒの季節になるが、冷たい物ばかり飲むので、お腹がゆるくなる。朝はクーラー無しなので常温のボトル。昼と夜はクーラー入れるので温かいお茶。バナナ半分は妻がなぜか半分しか食べないから。最初のころ、自分は朝食にバナナを食べる習慣はなかった。妻だけバナナ半分食べるのだ。どうして1本食べないのかと思う。聞いても半分で良いというだけ。それでいつしか残りの半分を自分が食べるようになった。バナナは最寄りのドラッグコスモスで売っているやつが太くて甘い。銘柄はチキータバナナ。3本¥128だ。

そうそう言い忘れたが、妻はボトルコーヒーを飲まない。粉を買ってきて自分でいれている。以前はコーヒーをいれるのが面倒になり普通のインスタントコーヒを飲んでいたが、砂糖を別買いして入れるのが面倒になった。ボトルだとそのまま飲めるし。無糖もあるけどブラックが好みの妻はボトルの無糖は飲まない。

あ、もこんな時間(7:46)炊飯器のスイッチ入れて朝ドラ見ながらウンコ座りの練習をしなくちゃ。そして9時過ぎたらわいわいファームへキューりを買いに。早飯食ったら2便の巡回バスでクロスパルへ行き、水泳。取り急ぎ投稿。

マヒ足で地面を蹴って進むことができない。足を振り出す時に、足首が自然に上がって着地と同時に体が前方に傾き、地面を蹴って、マヒ足でも体を前に押し出すことができればよいのだが、それができない。マヒ足を振り出すと途端に足裏がそっくり返るし、垂れたままの足首だから装具なしでは着地すらできない。しかたなく外側を大きく回して着地させざるを得ない。今はどういうのか知らないが、昔は外旋歩行とかブン回しとか言ってた。こういう歩きだとマヒ足はつっかえ棒みたいなもので、自重を支えるのも推進力も全てを健側の足1本で行うので、健側の負担は相当なものだ。

成人男子の足1本で8キロ〜10キロと言われている。これを筋肉の伸び縮みだけで自在に動かすのだからすごい人体の仕組みだと思う。

 

今日も予定通り泳いだ。
最初ではマヒ側も動かして泳いでいるが、それ以上になると健側の右手右足だけで泳ぐ。健側だけなら一気に泳げるが途中尿意を我慢できなくてトイレ休憩をとった。片麻痺水泳を始めてよかったのは背中の張りが取れたこと。それと突然襲われる強烈な目まいと吐き気がなくなったこと。目まいや吐き気は脳内出血の後遺症で、視床痛の一種と思われる。それと体重が増えない事。片麻痺者の場合太りすぎには注意しないと歩けなくなってしまう。食べるのは最大の楽しみだからつい油断して食べ過ぎになる。毎日体重計に乗り1キロ以上太らないように気を付けている。1キロ以内の減量なら1日〜2日で元に戻せるが3キロ以上の減量は大変だから。

脳卒中の後遺症で視床痛がある。異常がない部位で痛みやシビレ不快感を感じるのである。脳が損傷を受けて脳神経が混乱して、正常な部位に痛みを感じると言われている。治療の方法はない。医者も困って訳の分からない薬を出すこともある。発病当初に新薬があるが飲んでみるかと言われたが、ようするに体のいい治験なので止めた。

視床下部という脳内の深部にある部位の出血だから血腫を取り除かないと手足は動かない。脳外科医はドリルで頭蓋骨に穴をあけて管を差し込んで血腫を吸い出す。こういうのである。そんな事して正常な脳細胞を傷つけたらよけいにわるくなると思うと夜も眠れない。オペに同意したが、造影剤」を入れての撮影当日、少し熱が出たので中止になった。以降オペの事は沙汰止みとなった。後で医者が言うには「手術をしたからと言って、必ず良いとは限らない」。

話がそれた。視床痛である。酷い人は死にたくなるほどつらいときく。実際、苦にして自殺者も出た。とネットで見たことがある。この視床痛を改善するには水泳が良いと思う。なぜかというと。片麻痺で泳ぐとなると必死の思いで取り組まねばならない。全力で泳いでいると溺れそうになったりする。この危機感が有効なのだ。溺れそうになると脳は生き延びることに全力を使うから痛みとか不快感などといった余計な信号を出す暇がなくなる。何かに集中していると痛みを忘れる。そういう人もいる。危機的な状況に置くことで脳の病変を治す。そういう事を戸塚ヨットスクールでやっていたと思う。自閉症だとかの脳の障害のある人を海の中に放り込んで溺れさ
す。そういう危機的状況を作り出すことで脳が本来持っている生命体としての力を引き出そう。確か、そういう風なことを言っていたと思う。しかし、大きな事故が起きて大騒ぎになった。

そこまで激しくしようとは思わないが、人体には時々最大限の負荷を与えておくひつようがある。でないと体は退化してしてしまう。マヒ足とマヒ側の肩がゲッソリとなっているのを見るとそう感じる。

                          

最近特に感じるのは、歩く時、人の手足は連動しているということ。
当初、歩行訓練を頑張ればそのうちに楽に歩けるようになるだろうと希望的な思いでいた。同じ片麻痺でも。ある程度の動きがある軽度のマヒならばリハビリのやりようもあるが、中以上の重いマヒになるとPTやOTもどうしていいかわからないと頭を抱えた。

半年もすると、もうこれ以上回復の見込みはないから出て行ってくれと。事務係から入院費用の請求をされることになる。今はどうだか知らないが、30年前はそうだった。家族は半身不随の息子を家に連れて帰ってもどうしていいかわからない。かと言って昔の農村の中風患者者がそうだったように、小屋にれて置くこともはばかられる。当時パソコンのことをパーソナルコンピュータという言い方が始まった。

親父に軽トラに乗せられて、最寄りの福祉事務を門をたたいた。脳卒中専門のリハビリ施設があるので、そこに入れと言われて1年半入所した。白い近代的な建物と若いスタッフらを見て、ここならマヒが治るかもしれないと密かに思っていたがダメだった。マヒが重いと訓練のしようがない。自主訓練を頑張るしかないのである。それでも10年も歩く練習をすれば改善があるだろうとも思っていた。しかし、20年たっても状況は変わらない。

ある時、手を降って歩けと言われたことを思い出した。そんな事とてもできなかったが、腰をひねるようにすると手もツラれて動くことに気付いた。足で地面を蹴ったら手は前に出る。手が前に出ると足は地面を蹴る事をリズミカルに繰り返している。4本の手足が脳で絶妙にコントロールされ歩行が成り立っている。それと歩行は体全体を使う方が楽なのだと実感する。


障碍者は働きもしないで年金など福祉の恩恵でのうのうと生きている。時々そんな感じのことを言われます。ネットではさらにひどくて罵詈雑言も多いです。
まあ、実際、表面的にはそうなので言い返すことができません。しかたなく妻が働き自分が料理をし、生活費は折半とし、買い物=歩行訓練という感じで暮らしてきました。若いころは少しトンガリもしましたが、長ずるにつけ、障碍者は世間様のおかげでくらしてゆける。なので道の端を腰を落として邪魔にならないように歩いてゆこう。
すると例のやまゆり園の事件です。仰天しました。本気で障碍者を批判し、抹殺を実行する人間が出てくるなんて。想像すらできませんでした。これに対してどうコメントするのかもわかりません。

障碍者の存在を全否定されると僕はどういう心持で生きてゆけばよいのでしょうか。迷惑だから死ねと言われても。自分で死ぬのは怖くてできません。障碍者も病人も老人もいない。若くて元気のよい。頭の良いエリートばかりの世界なんてありえるのでしょうか。

リオオリンピックの行進で様々な国の人たちが民族衣装で歩いているのを見ました。色々な人々がいるのが普通で楽しい。そんな気がしました。特に、黒人女性の突起のあるヘアースタイルを見たときにです。

さて、障碍者を養うのは経済的負担が大きい。そういう批判にはどういう受け止め方をすれば良いのでしょうか。

我が国は世界第三位の経済大国と言われています。近年、超大国になったと胸を張る中国ですが、日本から莫大な金額のODAがなされ
中国のインフラ整備に一役買ったことは周知のことでしょう。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/chiiki/china.html

また、我が国はG8からもお座敷がかかり、国連安保理の常任理事国入りを目指しておるともききます。有体に言えば先進国なんですね。だから様々な福祉予算は先進国を維持するためのコストだと考えたらどうだろうと思うわけです。

だって何をするにもコストはかかりますもん。だからと言って福祉の恩恵を受けるのは当然という心根は持ちません。精一杯社会復帰に向けて精進してゆこうと思います。


本でもメールでもそうだけど、タイトルって大事だよね。情報の溢れる現代において読ませる本やメールの件名に誰しも頭を抱えるだろう。
興味引くタイトルを見て、買って読んでみたら、大した内容ではなかった。似たような内容の本はその辺にいくらでもあった。その典型的なものが乙武が書いた「五体不満足」という本。当時この言葉は世間で使えるような雰囲気ではなかった。タイトルを見てギョッとしたことを覚えている。このタイトルに驚いて、興味を持ち購入した人も多かったのではなかろうか。
買って読んでみようかと思ったが、内容はだいたい想像がついたので見送った。手足のない若者が普通の生活をしているだけなのだ。とは障碍者だから言えることで、健常者から見れば、やはり衝撃的だったと思う。他のタイトルだったらあれだけ売れたかどうかはわからない。

最近では「夫のちんぽが入らない」という本である。作者は若い女性だというから度肝を抜かれた。一瞬、注文しようかと思ったが、まてまて、どうせ普通のエッセイだということは紹介文で分かったので購入はしない。奇抜なタイトルで人目を引くよりコンテンツだよね。中身に何が書いてあるかが全てと思う。郷土史とか百科事典とか。それらが面白い。歴史の本とか。

ネットで無料でいくらでも情報は集められるから。中途半端な本に金を出そうという気にはならない。それでも新刊本が読みたければ、古賀市立図書館にリクエストカードを書いて出せば良い。古賀になければ県立図書館などの提携先からもってくる。それでもなければ予算があれば古賀市立図書館で新規購入してくれる。

昔だと大した本でもないのにメジャーな出版社の本というだけでありがたがっていた。しかし、今はインターネットでいくらでも情報は拾える。それも只で。これにAI(人工知能)が本格化すれば、いったいどういう社会になるのだろう。

この前、介護保険の申請をした。認知症の程度を調べる質問をされた。本人に聞くのでは無い。我が妻(め)聞くのである。
「最近、独り言を言いますか」
と調査員が聞いた。
「時々パソコンに向かってブツブツ言ってます」
おいおい、待ってくれよ。最近のパソコンはしゃべるんだよ。歌も歌うし、今日の天気はと聞けば音声で答えてくれる。と抗うと、
「あたし、ネットはあんまり使わないもんで…」

さて、審査結果はどうなるだろう?
介護保険料の請求書は速攻で来るが、結果を知るのに一か月はかかる。利用の段になると牛のようにのらりくらり。行政というのはしたたかだわ。


                      

OTとPTどっちが美人が多いか。経験ではOTだと思う。国立病院のPTにまるで色気のない男のような女PTがいた。OTには意識高い系の女が多かった。社会福祉の理念に燃え、まるで修道女のような雰囲気を漂わせていた。付き合うならOTだが、我が妻(め)とするにはいささか抵抗を感じた。家にいるときも四六時中高尚な話ばかりもしてはいられない。ちんぽも立つし、酒も飲みたい。ボートもやりたい。そういうことを考えると気持ちが萎えた。

難病専門の病院にいたときである。同じ部屋にはギランバレー症候群や筋ジストロフィー、ベーチェット病、パーキンソン、ハンチントンとか名前もしらない病名の患者が数多いた。皆いつも半泣きだった。ある日、静岡医大からインターンの女医が僕と隣の男の主治医になった。というよりも要するに若手医者の研修にされるわけだ。
女医が言った。病気の正体がわかっているからいいじゃない。他の人はそうじゃない。原因も治療法もわかっていないのよ。とまるで、メディカルチーム レディ・ダ・ヴィンチの診断に出てくる吉田羊みたいな感じである。
いくら病気の進行が止まっているからと言っても、半身不随の体じゃ、得意の土江の仕事はおろか重機のクレーンだって乗れない。こんな体でどうやって飯を食っていくのかを考えると、試案はひとつ女の世話になることだ。女医を我が妻(め)としたら…

ある日女医の診察を受けた。
「先生、仕事が終わったらコーヒーでも飲みにいきませんか」
厚顔なのは承知で切り出した。女はフンと笑って相手にしてくれない。しかたがないので、夕方帰路を待ち伏せた。病院の近くの駅から福岡から通ってくるのだ。
「先生、ちょっと待ってよ。コーヒーぐらいよかろうもん」
女医は無言で走るように逃げた。分回し歩行の上、重い短下肢装具を付けているので追いつけない。やがて女医はどこかへ行ってしまった。研修中はいろいろな病院を回るようだ。
「医者はヤッパ、無理か」戻る


脳卒中の後遺症も損傷部位により人さまざまである。身動きできないぐらい重篤な場合もあれば、見た目は普通で手足も動くのだが、力が入らなかったり。妙な脱力感があったり。物を持ってもポロポロ落としたり。物を押さえられなかったりする。マヒの程度が軽い場合は、ボパーズ法とか川平法とか。CI療法とかリハビリのやりようもある。

しかし、麻痺が中程度以上だと本人も医療者側もどうしてよいかわからない。渋々家に戻ることになるが、家族だってこの先ずっと息子の世話をすることになるのかと腰の曲がった母親は思う。
「とうちゃん、どげんしたらよかろうかね」
「タマキさんに見てもらうか」
タマキさんというのは拝みどんのことである。中程度の百姓の老婆で、水晶の球を紫色の敷物にのせ呪文を唱えると、悪いものがとりついているかわかるというのだ。狐の霊がついていると言われた。何やらぶつぶつ祝詞のようなものを5分ほど唱えていた。
帰りしなに親父が包銭を渡そうとすると、
「いや、いらんけど…」
といいながら懐へしまった。しかし、霊験あらかたというタマキさんの呪詛も効果はない。
今度は、親父が、
「かっしゃんに頼んだけん行け」
とこういうのである。かっしゃんというのは村に二人いるアンマの片割れで親父行きつけのマッサージ医院である。家族5人をあんま一本で養っているので腕は達者なのだろう。

分回し歩行でも15分ぐらいの距離にある。かっしゃんは鍼を打ったり灸をすえたりしてしてくれたが気休めにもならない。親父は次に福祉事務所の門を叩いた。障碍者担当の内田という女史の心配でリハビリセンターへ入った。


あせっては事がやぶれるのである。
色事というのは、はじめはそっと世間話程度からはじめるのがよい。しだいに相手のきづかぬままに心中に入り込み、頃合いをみはからって、はじめて腰を上げねばならぬ。
とかく男はことを急ぎ過ぎる。
と。
ろくなことはない。

初老のその男は若いころケガをし、片方の腕をなくした。その後頑張って会社を勤め上げ悠々自適の暮らしをしていた。ある障碍者サークルに属していた。ある日、いんたーねっとで調べたと言って若い女が入会希望だと聞いて一同小躍りした。

年寄りばかりの集まりに若い女がどうして入りたいのか。女が言うには見た目は普通だが耳が聞こえない。がなんらかの手助けが必要なほど重たくはなく、役所も相手にしてくれない。親戚のおじさんの心配で勤めにでたがうまくいかずナマケていると誤解されて…
などと物語った。

「さもあろう、世間とはそうしたものよ」

その男はしたり顔で頷き、一同も大いに同調した。それから年寄りらは何くれとなく女の世話をした。食事をおごってやったり。月一回の集まりに片腕の男は車での送迎も申し出た。こうして次第に仲良くなってなってゆく。女は送迎の車の中で体をくねらせ、しなをつくって甘えるようなしぐさをみせた。

その男はつい、服の上から胸を触った。女は慣れたしぐさで手をふりほどいた。

数日後、女は豹変した。
「おじさん、アレはセクハラよ。市役所の人や、叔父さんの奥さんや子供さんに言ってもいいけど…」
と言い放った。

その男は真っ青になった。
「お、お金で、ネ…」
最初は20万円だったが次は40万円と次第にエスカレートした。
その男はたまりかねて警察に相談した。
「叔父さん、そういうことなら、すぐには引っ張れんで、あんまりしつこいようなら、またおいで」
色事は失敗のもとであるが、成就すればこれほど楽しいことない。が油断大敵。


                  

人は魚類から爬虫類へと進化し、いつのころか陸上に上がり哺乳類へと変化し、それからまたさまざまの経緯があって地球の環境の変化に適応して、猿となり類人猿となって人になった。などとまことしやかに世の知識人と呼ばれるれる人々から語られている。無学な小市民にとっては、雲をつかむような話で、にわかには信じがたいハナシで首をかしげたくもなる。

半身不随の体で水中に入り水面に寝そべっていると何もしなくても体は水面に浮いている。やがておもむろに健側の手足で航海に乗り出す。車いすを片手で押すのが難しいように片手片足で泳ぐのも難しい。どうしても健側に寄ってしまうのである。飛行機で片肺飛行するのにもそれなりのスキルが必要なように片麻痺水泳でも真っすぐ泳ぐにはそれなりの訓練が必要である。

片手で泳いでいると無意識のうちに両手動作をしている。しかし、麻痺側は動かない。それでも頭の中のイメージだけでも麻痺手でも水をかくようにすると、割と楽に泳げる。さらに体をローリングさせるように泳ぐと麻痺側もつられて少しだけ動く。ただし推進力にはならない。

蛇やワニがそうするように水に潜って体をローリングさせると、、ふっと爬虫類になったきぶんになる。不思議だ。脳の奥の方にある原始脳と呼ぶ分野に、太古の時代の記憶がファイリングされている。と。どこかの知識人が言っていた。ほんとうかもしれない。


リハビリセンターの寮母をしていた女を口説いて所帯を持ち、彼女が働き自分が家事をする暮らしを始めて30年が経過した。その間妻は一度流産した。子供がいなくて一抹の寂しさはあるが、まあ、結婚が互いに36歳と遅かったので、これはしかたがないと諦めている。

食費・公共料金の負担は自分が。家賃、車関係の費用は妻が負担。朝飯はパンとコーヒーをそれぞれがやる。中食と夕食は自分が作る。昼の跡片付けまで自分でするが夕食の片づけは妻がする。掃除洗濯は妻がする。65歳になると介護保険料を払わねばならない。障碍者医療症を受ける場合は、後期高齢者保険料も払わなくてはならない。年金で細々と暮らす身にとっては苦しいところだ。

若いうちに老後に備えて貯金をしておけばよかったが、貯金などしたこともなかった。そのツケが最近出てきて慌てているが遅きに失した感が否めない。インターネットの出現で社会の形相は一変し、人々の価値観は多様化し、仕事の形態も一変し、中卒・土工あがりの老人にとっては収入の道を図ることは不可能に近く、将来の不安に対してオロオロするばかり。

最近水中歩行と地上でも足を上げて歩く練習をしている。そのせいかいくらか足を上げて歩けるようになった。おかげでこれまで分回し歩行だったものが軽減され、靴の先端がこすれて穴が開くことも少ないが、まだ時折こすれる。わずかでも足を上げて歩けるというのは実に軽く感じる。麻痺足は意外に重い。
これからも体全体を使っての歩行訓練を頑張ろうと思った。(2017/0211)


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