痙性が非常に強い。足は棒のように伸びたまま、硬直して全く動かない。手もL字型に曲がり指はウンともスンとも言わず、握りこぶしの状態だ。左半身には感覚が全くない。手足が付いているという実感すらしない。このままではたぶん満足に歩けるようにはならんだろうと医者は言う。理学療法士の意見も医者と同様であった。若いので寝たきりになることはないだろうが、重い装具を付けて、体をひねるように歩く異常な歩行になる、というのである。ひょっとしたら車椅子になる可能性だってあると告げられ肝が萎えた。 |
昭和60年4月2日、 筑後病院は、福岡県南部にあり、神経筋疾患の専門病院として知られている。リハビリ担当になったPTの三根先生は手足がガチガチに緊張しているのを目の当たりにして、腕組みをしたまま、 「うーん…」 と黙り込んでしまった。しばらく経って、 「根性出さんとしかたないね。明日から9時になったらここに来てください」 専門のリハビリ病棟を備えている病院なら治るかもしれないという、かすかな期待を持っていたので、具体的な説明がないことに不安とあせりを覚えた。 足は棒足だ。足全体が異様に突っ張って膝が全く曲がらない。足首にも、内反と尖足という二次障害が重複している。足の裏を地面につけることができないのである。これを矯正するために、短下肢装具というものを作った。プレス工場などで作業員が履く、安全靴に鉄製の支柱を付けたような頑丈な物である。この装具を付けて歩く練習をした。しかし、膝が曲がらないので、足の振り出しが出来ない。 それでも歩けるようになりたい一心で、強引に腰をひねるようにした。すると左足が外を回って前方に着地する。自分では前に向かって出したつもりだが、実際は外を回ってしまうので、ブン回し歩行とか、外旋歩行という。この歩き方は非常に格好が悪い。人に見られるのがとても嫌だった。
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昭和60年11月1日 福岡県身体障害者リハビリセンターへ入所した。弟の繁雄に車で送ってもらった。博多駅からそう遠くない人口3万人強の鄙びた街にあった。リハビリセンターでの入所生活は、午前中は2時間。午後からも2時間の理学療法や職業前訓練といったプログラムが組まれている。およそ100人の障害者が寝泊りしながら社会復帰に向けて、訓練に汗を流していた。 |