昭和45年12月初旬、午後、(19歳)
福岡県久留米市、西鉄久留米駅、名店街タミーにあるスナック喫茶「フルーツポンチ」のテーブルに僕とヨシアキは向いあって座った。
「マコちゃん、私しゃ、美代子ば呼び出して○○するばい」
と言って入口のピンク電話をかけ始めた。
彼は歌がうまくて面白い。おしゃれなスリッポンの靴を履き、服装もアイビールックで決めている。ディスコや街角で女を引っかけるのはお手の物である。いま付き合っている女は佐賀県江見町から久留米の縫製工場まで通っているという。
常に女を切らさないヨシアキが羨ましく思える。
見知らぬ女に街角で声をかけその日のうちにやってしまうなんて、ジャンパーに先の尖った魔法靴を履いている僕にはとうていマネのできる芸当ではなかった。
「ヨッしゃん、そんなら俺は帰るけん…」
「うん、そんならまたね、マコちゃん」
西鉄バスセンターから八女営業所行きのバスに乗って川瀬まで40分ほどである。川瀬から当条まで2キロだ。赤色の堀川バスが運行しているが1時間に1本しかない。次のバスまで40分あるから歩くことにした。こんなことなら赤バイで来ればよかった。
真っ直ぐな道をとぼとぼ歩いていると、牟礼の方からおばしゃんが自転車でやってきた。光江さん、子供のころ遊んでもらった「ヤー」の母ちゃんだ。おばしゃんは川瀬の十番というホルモン屋で夕方の5時から夜の11時まで働いている。
広川町でも九州自動車道の工事が始まって飯場ができている。鉄筋工や型枠大工、土工といった連中がホルモン屋のお得意だ。と、光江おばしゃんがこの前路で会ったとき話していた。
「マコちゃん、今帰りね」
「うん、」
挨拶を交わしてテクテク歩きから20分で当条に着いた。腹が減っているので、すぐに母屋に行った。誰もいない。炊飯ジャーを開けて茶碗に飯を大盛りした。コンコン漬にカツオ節を醤油でまぶして飯に乗せるとそれだけで2杯はいけた。
食後の一服をしていると表で車の音がした。親父が帰ってきたようだ。急いでタオル1本を肩にかけた。裏口から徒歩で3分の距離にある村の共同風呂を目指す。石鹸を持ってないので湯船に浸かるだけだ。
温まって風呂を出るとアジトにへ移動した。綿入り半纏を羽織って炬燵に潜った。テレビを見ていると、外で車の止まる音がした。足音が近づいて窓の外に人の気配がする。
「おーい、マコちゃん、おるかい。私じゃん。」
「おー、ヨッしゃんかい。どげんしたと、入らんかい」
「連れがおるばってんよかね」
知った者なら真っ直ぐ来るから、知らん奴に違いない。
「うん、よかよ、」
ガシャピーンと破れ障子が開いて唐芋顔が現れた。後ろには女の姿が見える。美代子に違いないと思った。
「これが美代子たい。今日は泊めてくれんね」
女のことは聞いていたが、実際に会うのは初めてだ。美代子はニコっと笑った。笑うとエクボができた。瓜実型の可愛い顔で男好きのするタイプだ
「えー、そりゃあ、よかばってん、布団ひとつしかなかけん。炬燵で寝るならよかよ」
二人はアメリカラムネのホームサイズとバタピーを持参してきた。コーラは湯呑に分けて飲んだ。そして美代子が言った。
「うちねえ、今度の土曜日に会社の専務からご飯食べようって、誘われたとよ」
「なんかそりゃあ、おまえはその専務から○○されたっちゃなかろね」
ヨシアキが不機嫌そうに言った。
「なーん、そげんことはなかよ」
それから二人でぶつぶつ言い合いを始めた。僕は布団に潜った。うつらうつらしていると物音がしてきた。目を凝らすと、炬燵の中で何かゴソゴソしている。
「エヘン!」
とやるとそれからは静かになった。
朝目覚めたのは7時だ。ヨシアキと美代子は大急ぎで身づくろいをするとNコロのエンジンをかけて出て行った。僕は母屋に行って食卓についた。母親のフサはまだいたので、カンズメ工場の仕事は午後からのようだ。玄関からは妹の歳子が、
「行ってきまーす」
続いて弟の栄が
「母ちゃん、行ってくるけん」
自転車に乗って学校へ行った。梅子は八女津女子高校の3年生。繁雄は県立福島高校普通科の1年生。
アジトでビッグコミックを読んでいると、車の音がした。しばらくすると破れ障子が開いて、唐芋(といも)顔がヌッと現れた。
「ヨっしゃんかい」
「はい、私じゃん、上がらせてもらうばい」
スリッポンの靴を脱いで炬燵に入ってきた。
「丸下被服の専務から金ばもらおうち、思うとるけん、加勢せんの」
「えー、なんそりゃあ?」
「うん、俺の女に手出したけん、どげんしてくれるかち、電話ばしてきた。今日午後3時にフルーツポンチに呼び出したけん、アンタも一緒に来んの。マコちゃんは何もせんでよかけん」
付いて行くだけでだけで良いならと思った。どうせ暇だしすることも無いのだ。
「友達に名古屋帰りの汚れがおるけん、今から連れて会社に行くけん、話会おうち言うたら、それは困るけん、どこかで会おうち、専務が言うた。金ば払うけん、かんべんしてくれち言う口ぶりやったけん、3万円は握るばい」
僕は名古屋帰りの汚れという設定になった。遊び手がジャンバーではマズイ。薄いグレーの背広があるのでそれを着ることにした。あいものだから少し寒いが我慢するしかない。これに安物のソフト帽を被ってマッチの軸を燃やして炭で口ひげを書いた。薄いサングラスをかけるとそれらしく見えるようになった。
西鉄久留米には午後2時半ごろ着いた。駅裏の空き地にNコロを止めて「フルーツポンチ」を目指した。ドアーの取っ手を引くとカランコロンと音がした。中をのぞくと奥のテーブルに中年の男が座っている。不安気な様子が伺える。
「マコちゃん、ここに座っとって」
ヨシアキはそう言うと男の方に歩いていった。
入口付近のテーブルに着いた。
店員がおしぼりと水を持ってきたので、
「ブレンドひとつ」
他人を脅かすなんて、考えた事も無かった。これからどうなるだろうと心配になってくる。
ヨシアキは男に近づいて話をしていたが直ぐに戻ってきた。
「ちょっと行ってくるけん」
「どうしたとね」
「金ば払うけん、一緒に来てくれち。相手が言いよるけん、行ってくるたい。マコちゃんなここで待っとかんね」
30分もすれば戻ってくると思っていた。が1時間過ぎても何の連絡もない。だんだん不安になった。しかし、このまま帰るわけにもいかず、一杯のコーヒーで長時間いるのも気が引けた。2時間過ぎたのでいたたまれなくなって、
「ブレンドコーヒーとトーストください」
一人で帰るにしてもこんな格好じゃ、バスにも乗れない。軽食を食べ終わってロングホープをふかした。時計を見るとすでに3時間が経過している。 この辺が限界と思った時、入り口がカランコロンと鳴った。ドアーが開くと唐芋顔が見えた。肩を落として戻ってきた。トシアキは椅子に座るなり、
「マコちゃん、しまえたばい。龍神組に連れていかれた。ふざけとると熊の檻に入るぞち言われた。檻のそばに連れていかれたけん、えずかったあ」
「えー、あの龍神組か。そこに連れて行かれたとね。そりゃまたどうして?」
「専務がヤクザに脅されとるちゅうて、頼んだとげな」
「君はまだ若いんだ。ぶらぶらしとってはいかん。自衛隊に行って修行をしてきなさい。言う事をきかんと終やかすぞ!」
最後の言葉は迫力が違ったそうだ。
「すぐその場で電話して久留米の自衛隊に入る手続きばされた」
「ふーん、しまやかすち言われたら言う事ば聞かないかんのう。ばってん、熊の檻に入れられんでよかったやんの。で、いつ自衛隊に行くとね」
「12月15日には行かないかん」
それから二人で12月14日の夜中まで遊び回ってヨシアキの家に泊まった。早朝6時に起きると赤バイにヨシアキを乗せて久留米市高良内にある陸上自衛隊へ送った。
それから2日後に今度はアジトに自衛隊の勧誘係りが現れた。
「な、山下君、海上航空隊に入らんかい」
菓子袋参で連日口説かれた。体力には自信がないし喧嘩も弱い。迷いに迷ったが海上航空自衛隊というのにひかれて入隊を決意した。簡単な試験と尿の検査があった。去年の夏は急性肝炎で入院したので、小便は便所で勧誘員の尿を入れて渡した。こうして僕も自衛隊へ行くことになった。入隊日は明けて1月11日と決まった。
この事を中学の同級生で級長だったエツオに話すと、壮行会を開くと言い出した。緊急に中学の3年4組の同級生に召集がかけられた。
昭和46年1月10日、上広川の吉常にある料亭丸十に席が設けられた。マルケイ、ペコ、コウシ、ヤギ、トモコ、ケイコ、ヒサコ、ヒロコ、カズコ、エンナリ、ジャン、トミオ、エツオという面々が集まった。
宴会が終わると、
「入隊ばんざあい!」
1月11日早朝、アジトへジープが迎えにきた。長崎の相浦にある海上自衛隊へ連れていかれた。基地の中にはカッターという船が並べられていた。オールの握りが黒く汚れている。
「あれは君の先輩たちが訓練で手に血豆ができてそれが破れて黒く跡が残った」
と説明され卒倒しそうになった。自分にはとうてい無理と思い入隊はしないと言い張った。勧誘係のジープで当条のアジトに戻ったとき家族は驚いた。もっと驚いたのは壮行会を開いてくれた同級生たちである。
「マコちゃんば川瀬で見たばい」
「自衛隊に行ったんじゃなかと。遅れたとかな?」
などと噂しあった。
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