日向建設>     

勤め先は(株)日向建設だ。5年前知りあいの口ききで佐賀県鳥栖の現場で常用作業員として現地雇用された。この会社はPC橋梁土木専門の会社だ。規模は孫受けも含めて総勢600人の規模だと説明を受けていた。宮崎の地元では元請をやっている。年間完工高が10億円はあるから安心して働けと、現場監督は作業員に話して聞かせた。僕はただの作業員だったが、忙しいときは正社員の現場監督の代行までやらされていた。それでも日当は作業員と同じである。

沖縄行きの条件は7000円の食いっ放し。つまり衣食住付きということである。日向建設では土木作業員のことを人夫という呼び方をする。現代でもこんな呼称があるのかと驚いたがこの業界の因習は古臭く、古典的な雇用関係が今も続いている。

賃金の支払いは毎月10日締めの13日払いである。賃金は現場監督の手から作業員らに渡される。監督が帳面に付ける出勤簿を出ズラという。時々、作業員らの出勤日数をごまかして自分の懐に入れる監督がいる。だから、自分の就労日数は付けておく必要があった。そうしないとごまかされてしまう。沖縄の現場の元請は(株)中竹土木である。

元請は神様>         

作業員たちにとって大監督(元請)の命令は絶対である。現場事務所のタンゴ汲み(肥え汲み)をやらされたり、昼飯の時間を遅らされても文句は言えない。それを言えば、

「アンタは明日からうちの現場にこなくていいから」

と簡単に首が飛ぶ。本土ならまあ。それでもなんとかなる。が。沖縄ではそうもいかない。私も色々な現場を回ったが昼飯も食わせずにコンクリ打ちを命じられたのは初めての経験だった。

小監督(日向建設の社員)に我慢してくれと手を合わせられると断れなかった。コンクリ打ちは一度始めると中断することができない。交代要員を手配しておくのが常識なのだ。中竹土木は手配を怠った。発病前日の作業も、交代なしの昼飯抜きでコンクリ打ちを命じられ、作業員たちが騒ぎ出した。

「おい。生コン屋、車ば止めんか。もう昼はとっくに回っとろうが」  
作業員たちが怒り出した。

「生コン車は全部出ました」


配車係りの返答には頭にきた。

「俺たちに飯も食わせんとか」
「止めんか、これは元請が言うとるとぞ」          

「・・・」

生コン車を30分以上待たせることは出来ない。ぐずぐずしているとミキサーの中で生コンが固まってしまうからだ。そうなると大変なことになるので、私たちは空腹を我慢して作業をするしかなかった。

コンクリ打ちは大変な重労働だ。作業員たちは石のように重いバイブレーターを、牛のようになって一日中引いて回る。生コンの打ち込みが終わっても、休む間もなくコンクリートの馴らしと仕上げの作業が待っている。どの作業も生コンの乾く前に手早く済ませる必要がある。コンクリ打ちの日はいくら人数があっても足りない。

ところがコンクリート圧送業、通称ポンプ屋は、生コンの流し込みを急ぎたがる。だが型枠を作った大工は急激に生コンを流すと型枠が壊れてしまうので負荷のかけすぎ嫌う。両者の思惑が違うのは相反するのは致し方ない。

生コンを型枠に流し込んでいく者を筒先持ちという。これは生コンの入った蛇腹ホースを意のままに振り回すことが要求される。大変な重労働なので、強靭な体力を持った荒男でないと務まらない。流れ者の大工や作業員にも荒男が多く。コンクリ打ちの日は常に殺気立っている。

沖縄では左官の手配もつかず、大工の人数も少なかった。絶対人数が足りないのである。100人役の作業を50人でこなす作業が連日連夜続けられた。こういう事態を引き起こした原因は利益至上主義にある。作業員の安全性、工事の的確さよりも利益が優先された。それと現場監督の段取りの悪さである。この現場では日向建設でも段取りが悪いことで評判の村田弘であった。