ホテル星野から1988年2月5日の挙式申し込みを受け付けた、との連絡があった。式の費用はたったの5万円である。貸衣装代、ホテルでの宿泊費を入れても15万円弱である。2月5日に決めたのは、典子の母親が大安の日にこだわったからである。ふたりとも宗教心は薄い。そんなことには無頓着なので仰せの通りにした。出発の前日から寒波の襲来があった。
あまりの寒さで麻痺足が硬直してガチガチの歩き方になった。補装具は靴べら型のプラスチック製。困るのが靴だ。補装具を付けると入る靴が無い。しょうがないので安価なワンタッチシューズの27センチという一番大きな物を購入した。装具をつけた左足は良いのだが。右足が大き過ぎて少しガバガバだ。歩きにくいが我慢するしかない。革靴など履ける状態ではないのだから。ワンタッチシューズは足を入れるとき。開くことが出来る。、紐の代わりにマジックテープで止めるから片手でも装着可能だ。工事用の防寒用着を羽織った。
粉雪が舞い、寒風吹きすさぶ博多駅のプラットホームまで、典子の同僚の安田さんが小学生の娘さんを連れて、ブーケを持って見送りにきてくれた。乗車予定の寝台特急隼がなかなかこない。あまりの寒さに待合室に引き返して、テレビを見ていると、関が原付近が大雪で列車のダイヤが乱れているという。構内のアナウンスでもしばらく待ってほしいと流れた。運行が危ぶまれたが30分ぐらいの遅れで出発した。寒くてたまらないのでワンカップを買って、あおってから狭い寝台で毛布に包まった。
目を覚ますと外は快晴である。車窓からは富士山が見えている。景色がズンズン後ろへ飛んでいく。やがて寝台特急「隼」は横浜を過ぎると東京駅のプラットホームに滑り込んだ。ここから軽井沢へ行くのかと思ったら、そうではなかった。
「山の手線に乗り換え、上野駅から乗るとよ」
旅行好きな彼女は長野や山梨方面へは、桃や杏の花を見に、よく一人で尋ねたという。

今度の旅行も典子がすべて仕切った。普段は無口な彼女だが旅のことになると眼を輝かせる。あれは信越本線というのだろうか。特急「あさま」へと乗り込んだ。大宮を過ぎるあたりから雪が舞いだした。碓氷峠が近づくと列車の速度が落ちた。外は猛烈な吹雪になった。その様子をふたりで眺めていると、あっと言う間に山々が雪に覆われてしまった。
やがて列車は中軽井沢駅に着いた。駅舎を出ると、初めての信州は痛寒かった。寒風が肌を刺すのである。こんなに寒いところにはとても住めないというのが正直な気持ちである。雪道を何度も転びそうになった。典子の肩につかまりながら商店街を抜け林道を抜けホテル星野を目指した。
この日、ホテルで夕食は準備されていない。海辺の街からわざわざ山国まで来て海の幸でもなかったが、適当なレストランもないので、坂の途中にあった寿司屋に入った。おやっさんは、
「うちのネタは東京の築地から直接来るので、新鮮で美味しいよ」
と自慢げである。それならばと早速口に入れたが普通の味だった。
ホテルで一晩過ごすと挙式だ。20組のカップルが揃っていた。牧師さんの前でトコロテン式に永久の愛を誓う。ウエディングドレス姿の典子はきれいだった。セミロングの紙をカールさせたかの彼女は輝いていた。挙式が終わるとカップルを馬車に乗せ、敷地内を一回りするという趣向が凝らされている。その様子を係りの物がカメラを構え、バシャバシャとシャッターを切っていく。
すべてのセレモニーが終わった。その夜はホテル星野でぐっすり眠り、次の日は上野駅ちかくのビジネスホテルに宿をとった。アメ横でジャンパーを買い、大衆トンカツ屋で夕食を済ませた。あくる朝、はとばすの東京見物半日コースというのに参加してから東京駅に入った。帰りは新幹線だ。静岡付近で普通の雪になり、名古屋に着くと大粒のボタ雪に変わった。
岐阜を過ぎると列車は次第にスピードを落としていった。米原辺りから線路脇に備え付けてあるスプリンクラーが作動し始めた。列車は関が原を過ぎる辺りまで徐行運転で通過した。なぜかしらこの付近だけ雪が多い。京都に近づくと雪は止んで列車は次第に加速して、あっという間に速度は200キロに達した。やがて新幹線ひかり号は夕闇の博多駅に静かに停車した。旅情感あふれるアナウンスがホームに響き渡る。
「はかたあ〜はかたあ〜、終点博多でございます」

4泊5日の挙旅行も無事に済んだと思ったら、職場へのお土産を買うのを忘れてと言い出した。しかし、お土産を買い忘れた人のためか何かは知らないが、博多駅の地下街には全国のお土産品を集めたコーナーがあるという。彼女は草加煎餅と雷おこしを注文して帳尻を合わせた。
部屋に戻って祝儀袋を空け、計算すると全部で50万円になった。喜び(結婚披露宴)をしなかったので費用の収支はプラス15万円になった。浮いたお金は車の買い替えの費用にした。車は2台もいらない。私の軽トラと典子の軽自動車を下取りに出し550ccにグレードアップしたスバルビィキに買い換えた。

毎日の暮らしの中で午前中は海岸までの往復6キロを歩くことを自分に課した。午後の時間を買い物と家事の時間とした。その合間を縫ってワープロの勉強を始めた。これまで文字を扱う経験がないので、覚えるのが大変だった。
最初に買ったのはナショナルの簡易型ワープロ、19800円である。これはおもちゃ同然の代物であるが、私はもてあました。しばらくすると液晶型の簡易ワープロがキャノンから発売された68000円で入手した。

|