1988年。昭和64年は昭和天皇が崩御され、平成と元号が改められた。挙式から半年も経つと典子との暮らしにもなれ、気持ちにも余裕が出てきたと思っていたら、彼女が腰痛で起き上がれなくなってしまった。
交際中から時々腰が痛いと漏らしていたが、単なる筋肉痛だろうと思ってたいして気にも止めないでいた。医者に行っても痛み止めをくれて安静にするようにといわれるだけであった。2〜3日仕事を休んで寝ていると痛みも収まった。
そんなある日新聞を読んでいたら、脳卒中で倒れた人たちが、労災の不受理を巡って提訴するという記事が目に付いた。それからも度々テレビでこれらのニュースが、過労死110番として流れるたびに私はホゾを噛んだ。諦めたつもりだったけど、労災が蹴られたことにまだ未練が残っていた。
医者は高血圧性の脳出血というが、その後色々な病院で血圧を測っても異常は無い。上が120前後、下が90ぐらいで常に安定している。労災棄却の異議申し立てをしなかったことが悔やまれてならない。若年性の脳出血の場合過度のストレスが原因だというのが多いらしい。
脳出血の原因が沖縄での連日の過重労働がに起因すると確信を持つようになった.。このまま泣き寝入りはしたくないという思いが日々強まっていく。新聞社から過労死110番の番号を教えてもらいかけてみた。

「労災の件は無理ですが、因果関係が立証できれば使用者側に遺失利益の請求をする方法があります」
と言うので、そういう方法があるのならぜひ、相談に乗ってほしいと頼み、約束の日にF法律事務所を訪ねた。
受付で事情を話すと、35歳くらいのメガネをかけたおとなしそうな弁護士が現れた。これまでの経緯を手短に話した。
「先生、裁判はできるでしょうか。労災では異議申し立てをしておりませんが」
「・・・労災は出来ませんが、おっしゃることが本当なら使用者責任での債務不履行で争うことが可能です。この場合、時効は10年ですから、まだ時間の余裕はあります」

この弁護士は一向に費用のことを切り出さない。弁護士費用がいったいいくらかかるのか。一番気になるところである。まさか無料でやってくれるとも思えない。費用について説明が何もないままズルズルと次の面談日が決められた。そして帰り際に発病前のカルテを取り寄せておくように支持され不安な気持ちで事務所を後にした。
早速B病院に電話した。発病する1年前に立ちくらみがしたので、B病院で院長の診察を受け異常なしだったので、D建設の現場に復帰していた経緯があった。そのときのカルテのコピーと今回の入院のときと合わせてふたつ欲しいと申し出たのである。
「そういうことでしたら院長でないとよくわからないので、院長に直接お尋ねになってください」
「いつ伺ったら院長に会えるでしょうか?」

「先生は現在、学会のため留守です。いつもどられるるかははっきりしません」
カルテの件を切り出すと適当にあしらわれて相手にしてくれない。弁護士にこのことを伝えると、
「素人が相手じゃ見せてもらえないでしょうね。弁護士が相手なら向こうの態度も変わりますよ、僕がやってみましょう」
と、まるで他人事である。最初からわかっているなら自分でやればいいじゃないか。この弁護士は頼りにならない。

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