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調停の申し立て書を出してから1週間後に裁判所から呼び出しのハガキが届いた。指定された日の午前9時に出向いた。待合室には中村さんと専務の伊田さんがすでに来ていた。

「あ、どうも」

頭を下げると、伊田専務が、

「山下君の言うちょることがようわからんがな。障害者になってひがんどるんじゃろう」

と、今回の調停申し立てに大いに不満気である。やがて、双方別々の部屋に呼ばれた。元判事でそれから弁護士になっって、今は調停委員をしているという白髪で品の良い老人が私の話を聞いてくれた。そしてこんな妥協案を提案した。

「山下さん、会社の人は貴方の主張は理解に苦しむ。労災が不首尾だったのは、我々の責任ではない。それは労働基準監督署がきめたことだから仕方のない事だ。それに社会保険も作って誠意は示したと言われていますよ。こんな場合、みなさん同様の事を言われます。でも、貴方の主張を証明せねばなりません」

「それには弁護士をやと雇わないと無理でしょう。そのためにはお金がかかります。それに必ず裁判に勝てるとは限りません。現実はそう甘くはないですよ。会社側は弁護士を雇うと言ってますよ。貴方の立場にも同情すべき点がありますから。ここはひとつ、要求金額を30万円程度にまで下げて人情にすがるのが最善だと思いますよ。法廷で争っても貴方一人では勝ち目はありません。悪いことは言いませんから情にすがりなさい。この条件でもう一度話をしてきてもいいですか」

調停委員からこんな風に言われて私はシュンとなった。

「はい、わかりました。宜しくお願いします」

悔しいけれど折れる方が利口だろう。30万円でも私には大金である。調停委員はD建設の中村さんらが待機している部屋へと消えていった。被告と原告を別々の部屋に入れ、仲介人が双方の部屋を行き来して話をまとめるのが調停というもののようだ。同じ部屋だとお互いが感情的になるのを防ぐということか。

5分ほどすると調停委員が伊田専務と中村さんを連れて私の前に現れた。
「山下さん、即答はできないので、会社に戻って会議にかけられるそうです。次回の面談日に返事をされるということですが、それでいいでしょうか?」
「はい、わかりました」
「それじゃあ、山下君。俺たちも話し合って見るが、みなが反対したらどもならんぞ」
余裕の表情を見せながら待合室を出て行く伊田専務と中村さんの後ろ姿を情けない気持ちで見送った。

                              

自宅に戻っても悔しさで夜も眠れなかった。本当は元請のN土木を相手に訴えたいのだが、それができないのだ。中竹土木にいくら事情を説明しても相手にしてくれない。

「貴殿はD建設さんから雇用されていたんでしょう。うちと貴方は雇用関係がないので、そんな事を言われる筋合いはありませんよ」

こんな風に担当者から切り返されると反論の言葉がでてこない。労災の書類を書くのは元請だ。労災を出すと元請には都合が悪いので、初めから認定されないような書き方しかしていない。このことは那覇労働基準監督署の係官の聞き取り調査を受けたとき、事実とは全然違う作業日報を出されているのを見て思い知らされた。

労働基準監督署の方でもできるだけ循環機器系疾患の認めない方針のようである。行政と企業の間でできるだけ労災を認めないという暗黙の了解でもあるのだろう。こんなことばかりが頭の中を駆け巡るので頭は冴えてくるばかりだ。そんなとき、布団の中で、あることを思いついた。

「・・・そうだ。あの湯布院での手抜き工事の事を道路公団に言ってやるぞ、と言ったらどうだろう。言うのはD建設ではなくあの工事のS土木に言ってやるのだ。元請を突くのである。キツツキは嘴で木を突いて振動させ中にいる虫が吃驚して出てくるところを、待ち受けて捕食するという。これに習って戦国武将は敵の背後を遊撃隊に奇襲させ敵が驚いて逃げ出したところを本体が正面で待ち受けて、一気に叩くという戦法をキツツキの戦法と呼んでいたと歴史小説で読んだ記憶がよみがえった」


     

あれは1984年3月9日〜10日のとても寒い日のことだった。
中村さんはちょうど免停中だった。彼は大分自動車道の工事現場まで私に運転手として同行するよう命じたのである。ほかに何かの作業があることも聞かされていた。工事部長の中村さんが、現場へ直接出向いたのは工事ミスを隠蔽するためだった。土曜日と日曜日は現場から監視役の日本道路公団の職員がいなくなる。

それを見計らって外部の人間を連れて隠蔽工事に出向いたのである。私の他にも10名前後の鉄筋工が召集されていた。ミスの原因は元請の初歩的なミスだった。橋脚の本来の位置よりも100ミリずれたまま鉄筋を組み、生コンを打ってしまったのである。ミスに気づいたのは生コンが乾いてからだ。型枠を組もうとして、橋脚の位置の隅だしをしたら、鉄筋が枠からハミ出してしまっていたので驚いたというわけだ。

まだこの時は橋脚のフーチングと呼ばれる根っこの部分だったからすぐに公団に報告して工事のやり直しをすれば比較的簡単なやり直しで済んでいた。この元請(s土木)はあろうことか、下請けの日向建設に命じて隠蔽してしまったのである。僕は鉄筋工と一緒にはみ出している16ミリの鉄筋をガスバーナーであぶって、内側にネジ曲げて元の位置に戻した。19ミリと25ミリの主筋筋はさすがに曲がらないので、ガスで切断して正規の位置に穴掘って植えたのである。

型枠検査でばれないような工夫も施した。隠蔽工事の痕跡を消すために普通のセメントと白セメントを混ぜ合わせて塗る付けカモフラージュした。現場での手抜きは時々目撃した。があんなに大掛かりな物は初めての経験であった。土曜の夜遅くまで残業し、日曜の午前中までに隠蔽を終え、帰路に着いた。

「中村さん、あげな事して大丈夫ですかね」

「ああ。ほんとになあ。オレも吃驚したぞ。しかし、元請がヤレと言うとじゃけんしかたなかろう・・・」

あんなことをしても作業員が見れば、どこか可笑しいとすぐに気づくのだが。事務所の中でお茶ばかり飲んでる道路公団の職員はどれも節穴である。彼らは所詮机上の空論しかできないのだ。そして手厚いもてなしで骨抜きにされているからなおさらである。現場事務所に道路公団の職員が現れるとすぐに茶菓が運ばれる。

お昼どきともなれば戸特上のうな重が用意されるのが恒である。休みの前の夜になるとバーベキューか鉄板焼きで食事会。二次会は別府の繁華街へ繰り出し、最後の締めがソープランドである。費用はすべて業者持ちである。こういうわけだから、検査なんかあってないようなものである。

S土木福岡支店の電話番号を調べてかけてみた。

「あ、もしもしS土木さんでしょうか。私、下請けのD建設の者ですがいつもお世話になっております。お礼の品やお手紙をお送りするときの住所録を作成しておりますが、ご住所を教えていただいてよろしいでしょうか、今度担当が変わって以前の住所録がどこにあるのかわからなくてお電話してしまいました」
正確な住所がわかったので法務局へ出かけ、登記謄本t抄本を取得した。

週刊誌の読者コーナーへ投稿するため用意していたハガキにワープロで入力した。

「突然ですが、私は貴社の下請けで働いていた者です。手紙を書いたのは他でもありません。大分自動車道白滝川橋脚の工事で行われた工事ミスについてです。あの時は主筋である25ミリの鉄筋と19ミリの鉄筋合わせて、およそ20本をガス切断機で切って正規の位置に移植するという離れ業を披露されました。あんなことをすれば地震のとき、簡単に橋脚が倒壊するのではと素人目には心配です。素人とは申せ、現場で実際に作業をしている身ですから、普通の者とは違います。それで専門家の意見を聞いてみたくなりました。どうかこの疑問にお答えください」

S土木福岡支店殿

                                1988年 10月吉日   山下留蔵 」

どうせ返事はないだろうと週刊誌投稿の延長みたいな軽いノリで近くのポストに投げ込んだ。