
リハビリセンターへ入所して1年が経過した。毎年恒例になっているセンター祭の準備が始まった。この催しはクリスマスの時期に行われる。みんなで芝居をしたり映画の上映もある。この日だけは昼食のとき小さなシャンペンが付く。
入所者と職員からそれぞれ1人づつを司会者として出す決まりだという。二階の大広間に入所者一同が集められ司会者の希望が募られた。全員下を向いたまま押し黙っている。シーンとしたまま3〜4分の時間が流れた。結局この日は何も決まらずじまいで終わった。
夕食を食べ、居室のベッドで寝っ転がっていると生活指導員の中田先生がやってきた。
「山下さん、司会をやってくれませんか。誰もやり手が無いみたいで、正直困っています。お願いできませんかね」
司会などというものはやったこともなく、多少の不安もあったが、誰かがやらなければ話が先に進まないようなので、頷いた。
職員からは寮母の中島典子(34歳)が決まった。スレンダーで10人並みの容姿である。彼女のことを無愛想な女だなあと感じていた。向こうもこっちには良い印象を持ってないだろうという雰囲気は伝わっていた。それまでは必要以外口を聞いたことがない。しかし、二人で司会をするはめになった。打ち合わせなどで会わねばならず、重い雰囲気も次第にほぐれていった。

彼女は若い頃人形劇団に所属していたとかで、寸劇の中でお地蔵さんの声をやるというのである。自分も何かやらなくてはという気になり、バナナの叩き売りに挑戦することにした。バナナ売りの口上は入所者の中に青果商の人がいて調べてくれた。歌は全く歌えないのだがなんとかなるだろうと軽く考えていた。ただ暗記だけはしておかないと、と思って必死で暗記した。そして緊張の当日を迎えた。
「ヤレー ただいまからが始まりで 初めあったら終わりある 尾張名古屋は城で持つ
城の回りにゃ堀がある 堀の中にはハスがある ハスの中には穴あるぞ
皆さん穴ゆえ苦労する 私しゃバナナで苦労する まず、最初はこの品で こいつまた上等でしょう
江戸で言うたら玉川の 京で言うたら鴨川の 水にさらした玉の肌 この通り上等でしょう
バナちゃん因縁聞かすなら 採れた所は台湾で
台湾台中片田舎 親が貧苦のその中で 花よ蝶よと育てられ・・・」
只の棒読みだったが会場から手拍子も出て無事に終わってほっとした。次の出番は心理療法の女先生だったが、ドジョウ救いを披露し、その滑稽さには度肝を抜かれた。

センター祭のプログラムも順を追って消化され西の空がスズメ色に変わるころ終了した。夕食も終わり部屋に戻ろうと寮母詰め所の前を通りかかった。中島典子の姿が見えた。他には誰もいない。どうやら今夜の当直のようである。何気なく、
「今晩は」
と普通に詰め所の中に入ることができた。
「なーん、今日は当直ね。無事にセンター祭も終わってよかったね」
他に誰もいないことを確認できると、少し緊張してきた。
「そう、盛り上がってほんとによかった。みんなのおかげよ、特に山下さんの」
「はははは、俺は大して役に立ってないじゃろう。ところで、今年賀状の準備ばしよるとよ。中島さんも住所ば教えてくれんね」
今度のセンター祭で彼女と司会を務めたことで、二人の間にあった壁のようなものがなくなっていた。控えめな人柄とスレンダーな体系、10人並みの顔立ちに僕の心は捉えられていた。彼女の住所と電話番号を知りたい。そういう思いで一杯なのだ。これまでにも何度か切り出そうとしたが、人がいたりとか、タイミングが悪かったりしてなかなか言い出せないでいた。

僕の問いかけを背後で聞きながら典子は椅子に座ってメモ用紙にボールペンを走らせ始めた。心臓がドキドキしてきた。電話番号も知りたい。
「ねえ、ついでに電話番号も教えて」
「正月は実家に帰るけん電話してもおらんよ・・・」
渡されたメモ用紙には電話番号がしたためてある。心がスキップするのを抑えることができなかった。住所と電話番号は手帳に控えた。メモ用紙は財布の中にしまった。
年賀状には「中島さん、貴女はとても魅力的です」というコメントを記した。
やがて正月休みも明けた。実家からセンターに戻ると普段通りの訓練が始まった。僕と典子の間には微妙な意識の変化が起きていた。入所者と職員という関係から男女の感情へと移行しつつあるのを感じることができた。ふたりの間にしかわからない微妙な空気の流れを感じるのである。これは言葉で説明するのが難しい。猫の毛のように繊細な感情の流れなのだ。
手紙を書いた。通常の審理では、恥ずかしくて言えないような言葉を臆面もなく文字にした。たどたどしい文字が、女を想う男の心情を表すのに信憑性をそえた。
「中島典子様、
僕は貴女のことを好きになってしまいました。センター祭りで貴女と一緒に司会をして意識するようになったのです。それまではなんか無愛想な人だなあとしか思っていませんでした。しかし、打ち合わせなどで中島さんと話すようになって本当の貴女を知ったのです。実は、とても優しい人だったのですね。僕は貴女のことを誤解していました。貴女はとても美しい。美人です。貴女のことを考えると夜も眠れません。入所者が職員に恋をするなんて許されることではありません。それに障害者と健常者という越え難い垣根もあります。でも、僕は自分の気持ちを抑えることができません。貴女を好きだというこの熱い気持ちを抑えることができなくて、手紙を書きました」
電話も頻繁にかけた。センター内で会うと目と目で会話した。次第に典子と僕の二人の世界が構築されていった。やがて僕の退所する日が近づいてきた。3月31日にはここを出なくてはならない。職業訓練校に行く者、授産施設を希望する者、一般就労を希望する者も多いが、雇用されるには職業訓練校経由でなければ絶望的であった。
事務職などの人は復職もあり得たが、肉体労働者には復職は100パーセント望めない。たとえ会社がOKを出しても自分の体がいうことを聞かない。たとえ障害の程度が軽くてもブルーワーカーの復職はもちろん、新規雇用も無い。
まだ若いので、障害者の職業訓練校へ行ったらどうかと、担当の指導員から言われた。娯楽室の週刊誌に載っていた自然卵養鶏に興味を抱いていた。なので、年金でももらいながら鶏でも飼って暮らすつもりだと答えた。
ある日、本屋で見つけた「投書をして小金を稼ごう」という本を見つけて買って来た。週刊誌や雑誌、新聞の読者コーナーにハガキを書いて採用されれば謝礼金がもらえるというのである。そんな世界があるのかと。早速ハガキと週刊誌を買ってきて、あちこのちの読者欄に投稿をはじめた。
弟が尋ねてきたとき、こんなことを言った。
「兄ちゃん、その体じゃあ、働くのは無理じゃろうけん、同じような境遇の女の人ば見つけて結婚して、障害年金で暮らさんね。母ちゃんもそげんしてもろうたら安心ち言うとらしゃったけん」
こんな心配も家族とすればしごく当然だろう。が
「健常者であれ、障害者であれ、そこそこの器量と気立ての優しい女がいいなあ」
思った通りを言うと、留次郎は、
「ふふん」
鼻で笑った。中学出の土工の兄が恥ずかしくてならないのである。美知子さんと所帯を持つとき、30歳を過ぎても独身で土木作業員などを転々としている兄の存在を恥じている時期もあった。家族思いの優しい弟であるのだが・・・。
弟は県立の進学高校を出てアルバイトしながら夜間大学を出たので、そういう気持ちになるのかもしれない。しかし、二部の大学では高卒とたいした違いはない。これが世間というものである。東大や京大、九州大学というならまた別格であるが。たかが田舎の進学高校を出たぐらいで、威張るな。とは心の中で思うだけで、言葉にはしない。

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