設計図も何も無い。すべておうまん(適当)である。実家のネギダレ(軒下)に置いてある廃材を集めて鶏舎作りにかかった。猫の額ほどの空き地に基礎にするコンクリートブロックを四隅に埋める。ブロックの穴にちょうど良い丸太を差し込んで4本の柱を立てた。これに梁で4本の柱をつないで、トタンを被せて周囲を金網で囲い、出入り口と給仕口を作れば良いのだが、これが想像を絶する作業になった。
装具をはいてブロックを運ぶだけでも大変な労力を必要とした。片手でブロックを持ち上げるのは、土工だからお手の物だ。しかし、ブロックを片手に下げて歩き始めると麻痺足が内反してしまう。健側の右足に体重を乗せ左の麻痺足は子供自転車の補助輪のような感じで慎重に慎重に歩を進めた。麻痺足を上げると足の裏が内返りをするが、着地すると緩むのであるからなんとも不思議だ。
梁と柱を釘で止めることがどうしてもできない。柱と柱に梁を乗せて釘打ちすることが、一人だと難しいのだ。これはたとえ、両手が使えたとしても不可能なことなので、一方を母に押さえてもらって固定した。金網張り、戸口の建てつけ、鶏がエサを食べることの給仕口など、一人ではどうしても出来ない所の造作は典子が休みの日手伝きた。当初ひよこを入れていく育すう箱も作らねばならなかった。そうこうするうちに母が入院していった。
5月に入ると鶏小屋も完成し、申請していた障害年金の受給も決まった。初回金として76万円の振込みがあったので72万円をはたいて軽トラックを購入した。車がくると、ちかくの孵卵場でひよこ20羽を入手し、さらに50羽を追加し育て始めた。


ひよこが小さい間は目が離せない。典子とのデートもそっちのけで飼育に夢中であった。やがて梅雨入りすとひよこもはとぐらいの大きさに育った。デートの場所は昔すんでいた、今は廃屋に汚い部屋である。ポータブルトイレを持ち込んで、家族とは離れて暮らしていた。近くに九州自動車道路のサービスエリアがあるのでここへ裏側から入ってコーヒーなど飲んだ。母は高速道のレストランへ皿洗いにきていた。
梅雨がなかなか明けない。1ケ月雨が降り続いてゲンナリした。9月に入ってようやく日差しが戻ってきた。ひよこも大分大きくなりったので、典子とのデートにもでかけられるようになった。
軽トラの助手席に彼女を乗せ、熊本の阿蘇方面へドライブにでかけた。しかし、気がかりなことがひとつある。鶏が卵を産む場所をどうするかである。何もなければ地面に産む。それではマズイ。小屋の中に箱を置いておけばその中で生むのは間違いない。鶏は暗くて狭い場所があれば必ずそこで産む習性がある。
小屋の中にイチイチ入って卵を取りにいくのも面倒だ。外から卵を取れるような工夫がいる。私は大急ぎでデートを切り上げ、ホームセンターへ行って産卵箱を作るための資材を購入した。それから1週間かかりで巣箱を完成させた。11月下旬になると産卵を始めたので毎日が楽しくなった。朝の11時頃になるとコッコッーと泣き声がするので鶏舎に行ってみる巣箱の中で鶏がうずくまっている。鶏をそっとどけると、そこには生みたての卵が鎮座している。母の手術も無事すんで家に帰ってきているので、卵は母にもっていった。

鶏が卵を順調に生み出した。やれやれと思っていたら、典子が一緒に暮らしたいと言い出した。引っ越してきてボロ小屋で一緒に暮らすというのである。私は、結婚はしないで時々逢えればいいかな。と、ノンビリ考えていた。第一向こうの親が障害者との結婚には反対するのは間違いないだろう。仕事もしてないのにどうやって暮らしていくのかと聞かれたら障害年金で暮らすとしかいえない。で、結局女の稼ぎを当てにしているのだろう。とおもわれかねない。
博多育ちの典子が筑後地方の農村に来て生活するのは、難しいと思われる。それに実家のそばで暮らすとなると、短気で気難しい父の存在が問題である。怒鳴りつけられることも覚悟しておかねばならない。そいういうことを考えると気が重い。それでしばらく考えて出した結論が、私が典子の住む部屋に引っ越すという事だ。そのためには鶏を処分しなければならない。せっかく卵を生み出したばかりだけど。惚れた女のためには決断せざるを得ない。ちょうど。町内で知り合いが山の中で鶏を飼っているので、事情を話して引き取ってもらうことにした。
 

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