典子との結婚に関してはリハビリセンターで懇意にしていた吉田先生に相談した。先生の奥さんから二人だけの結婚式を挙げたらどうかと言われた。5万円でできるという。調べてみると本当だった。軽井沢のホテルでやっている。やっかいなのは典子の両親の説得である。反対されるのは目に見えている。最初は事後承諾でよかろうと考えていたが、黙って入籍するのは良くないと思い直した。まず、最初に彼女の両親に挨拶をするのが筋道というものだ。それでどうしてもダメだったら二人で入籍すれば良い。

典子から一応の下話をしておいてもらい、1987年12月中旬、博多の実家を訪ねた。背広もないので吉田先生から借りていった。

「初めまして。山下留蔵と申します。今日は典子さんとの結婚許してもらいたくてうかがいました」

「まさか、結婚詐欺じゃあないでしょうね」

イキナリ父親から言われてしまった。

                                                               

「娘は真面目すぎる性格ですから、恋愛に免疫がありません」

母親が横から付け加える。

「そのような体になられて、娘をうまく言いくるめられたのではありませんか」

「いえ、それは違いますけど」

娘が騙されているというのである。次に典子から妹と弟を紹介された。これで一応の顔見世がすんだのでそそくさと退散した。娘の結婚相手が障害者だと聞かされたら普通なら驚き反対するだろう。逆の立場なら自分だって同じ事を言うだろう。父親というのは娘の結婚相手はどんな男でも気に入らないというではないか。世間とはそうしたものだ。

これで一応筋は通した。典子は父親に反発した。

「勘当されてもよかけん」
すっかり腹を据えてしまった。うまくいかなかったら別れればいいやと、二人で話しながら典子の部屋に戻った。次の日、典子が仕事に出た後、部屋の中でひとり考えた。やはり、もう一度お願いしに行こう。それでもダメなら仕方ない。決心も新たに中島家を訪ねて切々と訴えた。しかし、なかなか首を立てに振ってもらえない。もういいや。やるだけはやったのだから。帰ろうと思った。しばらくの沈黙の後、

「わかりました。こちらも年金暮らしなので援助はできません。絶対こっちを当てにしてもらっては困ります」

と典子の父親が折れてくれた。
                                     

「はい、もちろんです」

僕は、ほっとして深々と頭を下げ中島家を後にした。仕事から帰った典子にこのことを話すと、

「え、あのお父さんがね。なんか信じられん」

驚きと喜びの表情が入り混じった。私は、早速転入の手続きを町役場で済ませた。ストーブひとつと紙袋に簡単な着替えを詰めて典子の部屋に転がり込んだ。

          
障害基礎年金と障害厚生年金を合わせて月額8万円の年金収入がある。生活費は7万円づつ出し合うことにした。夕食の準備と部屋の掃除は私が。洗濯を典子が受け持つとこで合意した。料理をするといっても経験が全く無いので戸惑いの連続である。献立と調理方法は新聞の家庭欄で学んだ。買い物の要領もわからない。豚のこま切れ肉が100gしかいらないのに、

「豚コマ300」と言ってみたり。

つい見栄を張ってしまう。衝動買いも多く、予算以上に使ったりもした。その年の大晦日のことである。典子から大根のナマスがマズイといわれ、私は、頭にきて実家に戻ってしまった。しかし、元旦には典子が迎えにきて簡単に仲直りするという実に子供じみたことをしてしまった。患足に体重をかけられない。健足1本に全体重がかかるので、キッチンに立つだけで疲労困憊し、予想以上に疲れた。材料の加工も容易ではない。左手で物を押さえ、右手で切ることができない。タマネギなど丸い物はコロコロしてなかなか切れない。

和包丁は引いて切る物だ。片手で切るとすれば、どうしても押し切りになるのだ。片手の調理法などダレも教えてはくれない。ああでもない。こうでもないと。試行錯誤するしかなかった。